ひきこもり科学館

つれづれなるままに、ひきこもり、硯にむかひて

世のなかの「当たり前」なんて、たまたま多数派になったというだけ|「当たり前」がおかしいと思う人へ、「当たり前」に悩む人へ

私はどうも、周りの人から「変人」扱いされているようです。ついでに、私の友人たちも割と似たように見られているようです。なぜなら、ある人に先日の飲み会のメンツを打ち明けると、「何かすごいなぁ~、変人会だな!」と言われたからです(そういう彼も、割と風変りな気がするのですが…)。

さて、私はときどき、世間で言われている「当たり前」がおかしいと思うことがあります。ところが、そういったことを口にすると「バカか!おかしいのはテメェだよ!」と怒鳴られてしまいます。本当にそうなのでしょうか?おかしいのは、私なのでしょうか…?しかし、そんなことはどうでもいいのです。なぜなら、世のなかの「当たり前」なんて、たまたま多数派を形成したということに過ぎないからです。

 

① 世のなか、全員が同じことを考えている訳がない

そもそも、世のなかの全員が同じことを考えている訳がありません。例えば、私は「ラーメンといえば醤油だ」と思っていますが、ほかの人はどうでしょうか?「いやいや、ラーメンといえば豚骨だ!」という人もいるでしょう(実際、九州あたりでは多そうです)。ほかにも、塩や味噌や魚介系など、いろいろな声が聞こえてきそうです。このように、どんなことであっても、人によって考えていることはまるで違うのです。だから、1つの正解なんてないのです。世間の言う「当たり前」なんて、そのなかでたまたま多数派になった、ということに過ぎません。ちょっとしたことで、醤油にも豚骨にもなり得るのです。ひょっとしたら、醤油豚骨にもなるかもしれません。実は、「当たり前」なんて、大した根拠はないのです。

 

② 誰しも、少数派になることはある

先ほど述べたように、世間の皆が同じことを考えている、なんてあり得ません(むしろ、考えていたらキモいです)。だから、自分の考えが人と違うこと自体、何ら問題はないのです。確かに、世のなかの「当たり前」は多数派の人々によって形成されます。しかし、”多数派”という言葉自体、”少数派”が存在することを認めているようなものです。”多数派”がいる、ということは”少数派”もいるのです。後は、人によってどちら側に入るか、というだけの話です。ということは、誰しも少数派になる可能性は十分にあるのです。今、多数派にあぐらをかいている人も、いつ何時、少数派になるか分かりません。

 

③ 自分が「正しい」と考えるのだから、それは正しい

先ほど述べたように、世間の「当たり前」に大した根拠などないのです(たまたまそう考える人が多かった、という程度です)。だから、それが唯一の正解だとは限らないのです。むしろ、正解はもっと別のところにあるかもしれません。結局、何が正解かなんて分からないのです。そこで、より現実的な提案をしましょう。自分が「正しい」と考えるものを、正しいとするのです。どうせ、何が正しいかなんて分からないのですから、自分が「正しい」と思ったことを信じるしかない、ということです。それでいいのです。突き詰めれば、自分より信頼できるものなんかないのですから。人のことなんて構わなくていいのです。

 

④ どうせ後悔するのなら…

何をやっても、失敗するときは失敗します。後悔するときは後悔します。それは、自分を貫いてやったことでも、人に合わせてやったことでも一緒です。しかし、「もし、自分の思ったようにやっておけば…」という後悔は、とてつもなく後を引くのです。さらにさらに、こうした後悔は(大抵は)取り返しがつかないものなのです。それならば、自分を貫いてやったことで、後悔した方がいいのではないでしょうか?自分を貫いてやったことなら、人のせいにはできないし、割とスッキリ諦めることができるものです。どうせ後悔するのなら、前向きに進める後悔をした方がよいかと思います。

 

以上。皆の「当たり前」より、自分の「当たり前」を大切にしてみてはいかがでしょうか?