ひきこもり科学館

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「モラトリアム」の何が悪い! ~大学・大学院の「モラトリアム」は積極的に評価すべきだ

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世間には、大学・大学院は「モラトリアム」だ!という批判があります。つまり、学生は大して勉強もせず、働きもせず、遊び呆けている、という批判です。しかし、その批判はやや安直すぎるのではないでしょうか?短絡的すぎるのではないでしょうか…?私はむしろ、大学・大学院の「モラトリアム」は積極的に評価すべきだ、と考えています。学生たちにも、せっかくの「モラトリアム」を十分に活かしてほしい、と考えています。ここからは、私がそう考える理由を3つ、順に書いていきます。

① 自分の「生き方」を考えることは大切

若いうちに、自分の「生き方」を考えることは大切です。なぜなら、それが自分の幸福を最大化することにつながるからです。自分が「何をやりたいのか」「何をやりたくないのか」を見極め、これからどのように生きていくのか、を考えなければなりません。ところが、高校を卒業していきなり仕事に入ってしまうと、なかなかそういう時間がとれないのです。そこで必要となるのが大学・大学院生活です。大学で勉強をしたり、アルバイトをしたり、その他いろいろな経験を積むなかで、自分の「生き方」について考えていけばいいのです。何も、大企業の社員や公務員になるだけが「生き方」ではありません。起業するもよし、フリーターになるもよし、何ならヒモになるもよし、です。結婚するもしないも自由です。あらゆる「生き方」を模索してください。己が真に望む「生き方」とは何なのか、を考えるには4年間くらい「モラトリアム」があってもいいと思います。

② 自由に試行する経験は大切

先ほどは、自分の「生き方」を考えることの大切さについて述べました。しかし、自分の「生き方」を考えるには、その土台となるものが必要です。その“土台”とは、自由に試行する経験です。つまり、自分で考え思いついたことを、実際に「やってみる」経験が必要なのです。なぜなら、自分の「生き方」を方向づけるためには、自分のやりたいこと・やりたくないこと、あるいは自分の向き・不向きを、しっかりと把握する必要があるからです。これらを把握するためには、実際に何かを「やってみる」しかありません。そこで必要となるのが大学・大学院生活です。学生の間は、自由にいろんなことができます。勉強もできるし、アルバイトもできるし、サークル活動もできます。その気になれば、自分でビジネスを興したり、世界中を旅したりすることも可能です。このように、学生の間は何でもいくらでも経験を積むことができるのです。こうした経験を積んでいくと、しだいに自分のやりたいこと・やりたくないことが分かってきます。また、自分の向き・不向きといった「適性」も分かってきます。自らの望む「生き方」は、こうしたことが分かって初めて、判断できるようになるのです(もちろん、全てが分かる訳ではありませんが)。だからこそ、(何でもできる)大学・大学院生活の「モラトリアム」が必要なのです。

③ 本当は「何もない」時間こそ大切

現代人は、常に何かをしていないと気が済まないような人が多いです。しかし、常に何かをしている必要なんてあるのでしょうか?―私はないと思います。というより、そんな生活はしたくないです(いつか、必ず倒れるので…)。多忙な現代ビジネスマンは「何もない」時間というと、「ムダ」あるいは「もったいない」と捉えがちですが、そんなことは全くもってありません。学生時代は自分の「生き方」を考えることが大切だ、ということはすでに述べましたが、そういうことを考えるためには「何もない」時間が必要なのです。

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大体、(「生き方」に限らず)新しい発想は、ボーっとしているときに湧いてくるものです。また、湧いてきた新しい発想を実践するためにも、ある程度空いている時間が必要になります。だからこそ、大学・大学院生活の「何もない」時間は、とても大切な資源だといえるのです。

(おわりに)

確かに、大学・大学院生活には「モラトリアム」があります。しかし、それは決してムダな時間などではありません。活用の仕方しだいで、いくらでも意義のある時間になりるはずです。だから、目一杯活用してください。目一杯やりたいことをやってみてください。それでは、今回はこのへんで。