ひきこもり科学館

つれづれなるままに、ひきこもり、硯にむかひて

文学はお金のない人生を楽しむ、最高に役に立つ学問だ

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1. 文学は本当に役に立たないのか? ~確かにお金は稼げないけれど

・文学部に行きたい?何を考えてるんだ⁉
・就職先ないぞ。
・作家にでもなるつもりか(やめとけ)?
・男で文学部へ行くなんて、棺桶に片足突っ込んだようなもんだ。

とまぁ、こんな感じで世間での文学に対する風当たりは強い。それはもう強い。高校の進路指導の先生さえも、

・えっ、本当に行くの?
・せめて教員免許でも取らんか?
・まぁ、せいぜい就活頑張れや(諦め)。

などと、のたまう始末(素直に、生徒の進路選択を応援しろよ!)。ときには、言葉の端々から、

・そもそも文学なんて何の役に立つの?
・文学なんて何の役にも立たない。

といった意識が滲み出ていることさえある。これには参った。

しかし、文学って何の役に立つの?という素朴な問いは、我々にとって避けては通れぬもののように思える。文学はいったい何の役に立つのであろうか。

これには、これから文学部に入ろうという皆さん(あるいは、すでに入ってしまった皆さん)のためにも、一度しっかりと答えておきたい。

確かに、文学部ではこれといって金になるスキルが身に付く訳でもなく、何となく4年間を無為に過ごしてしまうことも少なくない。就職活動で冷遇されることはあっても、優遇されることはまずない。頑張って、司書資格や学芸員資格を取ったところで、使う機会に巡り合うこともまずない。

そういう意味では、文学は本当に役に立たないな、と思う。就職するとか、金を稼ぐとか、そういったものにはまるで向かない。ぶっちゃけ…。ただ金を稼ぎたいだけなら、(4年若い分)高卒で就職した方がマシなのではないか、と思うくらいだ。

しかし、これだけは言わせてもらいたい。

文学は金を稼ぐには向かないが、金のない生活を楽しむには非常に向いている。
金がなくとも楽しく生きるには、文学のチカラが必要だ。

それはどういうことか。これからつらつらと、書き進めていきたい。

 

2. そもそも文学とは何なのか?

さっそく本題に入る前に。そもそも文学とは何なのか、ということに軽く触れておきたい。

文学というのは、人間の営みそのものであって、おおよそ文明とか、文化といった言葉で括れるものはだいたい文学と言っていい(広い意味で)。よく分からない(腑に落ちない)方は、とりあえず各大学の文学部ホームページを覗いてみよう。ざっと見渡せば、太宰やら何やらみたいな、いわゆる「文学」以外にも、歴史や思想・宗教、美術、社会、心理、地理など、さまざまな分野があることが分かるだろう。つまり、すごく雑に言ってしまえば、【人間の営みの積み重ね】っぽいものはだいたい文学なのだ。文学は、皆さんが思っている以上に広い。

 

3. 文学は人生の楽しみそのもの!

そもそも、皆さんの大好きなマンガやアニメだって広義の文学に含まれるし、J-POPやジャニーズの追っかけだってそうである。海外旅行や名所・史跡巡りだって、もちろんそうだ。何ならカフェでの何気ない会話だって、文学の範疇である。そう。皆さんは知らず知らずのうちに、文学(的なもの)を楽しんでいるのだ。意識せずとも、楽しんでいるのだ。別に太宰など読まなくとも、皆さんは文学を楽しんでいる。

そろそろ気付いたであろうか。そう。文学というのは、人生の楽しみそのものなのだ。我々の人生に潤いを与えてくれる、そういうものなのだ。(文学は)生きがいの一種と言ってもいい。実際、いくらお金があっても、これがなくちゃ生きていけないよ!そういうものが文学だと思う。だって皆さん、こうやってインターネットの世界をうろちょろするの、楽しいでしょ?生きがいでしょ?どんなに貧窮しても、月々のネット回線代だけは削れない…、そう思うでしょ。それ、まさしく文学なんですよ。当たり前すぎて、普段は意識しないでしょうけども。

 

4. 文学があれば、金がなくとも楽しく生きられる ~読書家の視点から

文学といえば本、読書。それ以外もあるが、やはりTHE文学というと、そういう感じがする。かくいう私も本好き、読書家である。

そういう皆さんにはお分かりのことかと思うが、本というのは極めて息の長い趣味である。何せ、時間を無限に溶かすくせして、お金は大して喰わない。(本なんて無限に出るので)読みたい本が尽きることも一生ない。まさに【金がなくとも楽しく生きる】には、絶好の趣味といえる。

あなたは図書館で丸1日潰せますか?あるいは、本屋でも古本屋でもいい。そのへんで丸1日潰せますか?――この質問に「YES」と答えられる人は、多少お金がなくても、人生を豊かに過ごすことができる。暇なとき、【適当に面白そうな本を見繕って読むスキル】を身に付けておくと、日々の暮らしが何かと捗る。何せ、本さえあれば…。いつでも、

・新しい知識をモリモリ入れたり、
・頭の中で議論をしたり、
・人の感動を追体験したり、
・クサクサした気分をリフレッシュしたり、

できるのだから(もちろん本の種類にもよるけれど)。それは仕事がないときでも、病気になったときでも、何だか眠れないときでも…、そうなのだから。身に付けておいて損はないと思う。本を読むスキル。ぶっちゃけ下手な資格より、長い目で見ればよっぽど役に立つのではなかろうか。暇潰しもできるし、知識も増える。貧困耐性も上がる。社会性はちょっと…、下がるかもしれない。

文庫でも新書でも何でもいいので、まずはチャレンジしてみてほしい。自分で適当に面白そうな本を拾ってこられる、このスキルさえ身に付ければ、

・図書館や書店で1日を潰せる
・ファミレスやカフェでも(本を持ちこんで)長く居座れる

のだから。そして、これらの場所(図書館、書店、ファミレス、カフェ)が、

・家や職場以外の新たな居場所となる
・日々の「嫌なこと」から一時的に抜け出す「シェルター」となる

のだから。助けられる場面は少なくないはずだ。

一方、このブログのように(文章を)読むだけでなく「書く」のも楽しい。「書く」となると、いわゆる創作系の趣味なので、時間なんていくらでも潰せる。書くうちに、気付いたら日が暮れている、眠くなっている…。(時間を)潰せすぎて困ってしまうくらいだ。お金もほとんどかからないし。

何も文章だけではない。もちろん、人によっては絵を描いたり、木を彫ったり、器を焼いたりしてもいい。それも文学(というか美術?芸術?)の範疇だ。いや、別に文学かどうかなんて、どうでもいい。自分が楽しめるものがあれば、それでいいのだ。それがあれば楽しく生きられるのだ。

 

5. 物事を広く・深く考えるのは楽しい ~哲学・倫理学の強み

文学のなかには、哲学だとか、倫理学だとか、そんなふうに呼ばれるジャンルがある。この界隈は世間一般では、

・何それ?意味わかんなーい。
・そんなんやって何の役に立つの?
・えっ、「正義とは何か」とか言い出すの?メンドくせー奴‼

などと散々な扱いを受けているが、この界隈こそ、人生そのものを楽しむ文学の強みがあると思う。何というか、人生にコクが出る。文学部のなかでも、相当コクが出る。だってね、考えてみれば、

「正義とは何か」「これは平等か」で時間を潰せるなんて、素晴らしいことだと思いません?

そんな訳の分かんないことを考えて、日々を楽しめるのだとしたら、素晴らしいことだと思いません?

※こんな物言いとはいえ、決してバカにする意図はないので、悪しからず。

哲学や倫理学は、世のなかのあらゆる物事を広く・深く考える学問である。世間一般が当たり前としてスルーすることでも、一度立ち止まって根本から考えてみる、あらためてその根拠を問い直してみる、そういう営みである。ある日ふと、

・自分は何のために生きているのだろう?

などと考えてみる。ときには、

・これは「愛」なのか?
・「働く」って何だろう?

などと考えてみる。これはお金にこそならないが、人間が人間として充実した生を送るための、大切な営みである。ある意味最も人間らしい、人間が人間であるための重要な営みである。

ちょっと高尚、あるいは遠大すぎただろうか…?別に正義とか、人生の目的とか、そんなテーマでなくてもいい。ネットニュースでも、twitterの何気ないつぶやきでも、そこから

・これは面白い!自分にはない発想だ。
・この考え方、あの場面で応用利きそう。
・いや、他の観点からすると、ここは問題じゃない?
・ここを◯◯すれば、ちょっとは解決しない?

などと考えてみる。そうやってあれこれ考えていると、ときどき思いもかけない発想が出てきたりして、何だか楽しくなってくる。そういう営みこそが、しょーもない人生にコクを出してくる。何かよーわからんことで頭をこねくり回してたら、今日も1日が過ぎていた。それがある意味、理想といえば理想なのである。哲学・倫理学の強みは、あえて雑に言えばこうだ。

お金を使わずに頭を使うことで、ひたすら時間を潰せる。

そういう意味では、哲学・倫理学は人生そのものを楽しむツール、と言ってもいいのかもしれない。残念ながら、哲学・倫理学がお金を生むことはないだろう。しかしながら、お金のない人生をそれなりに充実させるには、哲学・倫理学的な思考スキルがそれなりに役立ったりするのだ。

実は人間という生きものは、こうやって頭をこねくり回しているとき、物事を広く・深く考えているとき、割と幸せなのである(たまに、苦しかったりもするけれど)。だから、頭をこねくり回すうちに日が暮れていていた、それはそれで悪くないのである。

裏を返せば、人生を【金のないなりに楽しく過ごす】には頭をこねくり回すしかない、そういう面もある。哲学・倫理学を含む文学は、そのこねくり回すチカラを養う、実は非常に役に立つ学問なのだ。

 

6. 文学は多種多様、空間文学(地理学)の楽しみ方

私は文学、といっても地理学畑なので、あまり文学!という感じではないのだけれど、それはそれで語ることがない訳でもないので、語っておきたい(たぶん、ちょっと変わったテイストになると思う)。

そもそも地理学(特に人文系の地理学)というのは「空間文学」である。我々の生きるこの空間のあり方を読み解くものである。

私は地理屋さんなので、適当に外を出歩くだけで楽しい。適当に外をブラつくだけで時間を潰せる。―話を進めよう。建物の姿かたちや出歩く人の格好を見ていると、だんだんとまちの性格が分かってくる。例えば、ちょっと下町っぽいなとか、サブカルの匂いがするなとか。ときには、(被差別)部落だ!とか、昔の花街だ!とか、そういったこともある。

あえて裏通りに入ってみたり、個人経営の商店に入ってみたりすると、より深くまちの性格が分かってくる。例えば、没個性的な住宅街と思いきや、瀟洒なお店もあって意外と文化的なんだな、とか。このあたりは、意外と地域コミュニティーが残ってるんだな、とか。そういうことが見えてくる。

特に、昔ながらの個人経営の喫茶店などがあれば最高だ。そこで繰り広げられる、地元のお客さんの話を耳にしていると、まちの人の属性、動き、興味・関心がリアルな感触で伝わってくる。

ほかにも、まちを歩いているとさまざまな発見がある。例えば、あっ暗渠だ!とか、これ古墳か?とか。ちょっと目を凝らせば、いろんなことに気付けたりする。もっとマニアックなところでいえば、道路標識の表示、踏切の名前、マンホールの蓋のデザインなども面白い。まさに「道端文学」「路上文学」といった感じがする。

このように私の場合、ただそのへんをブラつくだけで、それなりに楽しめるのだ。ただそのへんをブラつくだけで、それなりに時間を潰せるのだ。別にパチンコ屋やキャバクラに入る訳でもないので、お金もさしてかからない。何か水の流れを追っていたら日が暮れていた、そんな感じである。

こうやって【そのへんを、たたブラブラするだけで楽しむスキル】は結構価値があるのではなかろうか。別にお金もそんなに使わないし、ちょっと場所や視点を変えるだけで何度でも楽しめる。一度身に付ければ、腐ることもない。私のような、社会不適応気味の根無し草的パーソンには、ピッタリのスキルといえる。本を読むように、まちを読む、空間を読む。【金がなくとも楽しく生きる】には、そういうスキルが結構役に立ったりする。

ちなみに。私は自然地理学(理系の地理、高校でいう地学)には詳しくないが、人によっては、草を見るだけで楽しめる、石を見るだけで楽しめる、雲を見るだけで楽しめる…、そういうスキルもある。

ついでに言うと、地理屋さんのなかには「わざわざ出歩かなくとも、家で地図を見るだけで楽しい」、そういう人たちも少なくない。かくいう私も、グーグルマップで仮想旅行、仮想まち歩きができるタイプだ。最近はストリートビューもあるので、家にいながら、よりリアリティーをもって旅ができる。雨の日だって大丈夫だ。

 

おわりに ~文学はお金のない人生を楽しむ、最高に役に立つ学問

文学は役に立たない。確かに、ある側面ではそうである。ご多分に漏れず、文学で大学院など行ってしまった私も、経済的には結構困った状況が続いている。しかしながら、じゃあ不幸なのか?心が満たされないのか?というと、そんなこともない。むしろ、それなりに豊かに生きているな、楽しくやっているな、という実感がある。

その背景には、文学がもたらす人生の楽しみ、生活の潤いがあるのではないだろうか。また、そうした文学の効用を活かすスキルがあるのではないだろうか。確かに、文学は経済的・物質的な豊かさは生み出さない。しかし、それとはまた別の側面での豊かさを生み出している。楽しい!とか、心が揺さぶられた!とか、そういう豊かさである。あるいは、初めて知った!とか、そういう豊かさである。そういう精神的・知的な豊かさも、人生には結構大事なのである。ここで、冒頭(1章)の言葉を繰り返しておこう。

文学は金を稼ぐには向かないが、金のない生活を楽しむには非常に向いている。
金がなくとも楽しく生きるには、文学のチカラが必要だ。 

つまり、文学はお金のない人生を楽しむための、最高に役に立つ学問なのだ。皆さんの永き人生に文学の楽しみ、潤いを。