ひきこもり科学館

つれづれなるままに、ひきこもり、硯にむかひて

クソ就活用語5選|重い志望動機, くだらん自己PR

f:id:neetland:20200820203238j:plain

就活用語。就活(転職含む)になると急に出てくる、特殊な用語(あるいは概念)です。具体的には、志望動機、自己PR、キャリアプランなどなど…。皆さんも、一時期「あ~、何かよく耳にしたな(今は聞かないな)」くらいの覚えはあるかと思います。で、これらの用語。皆、何気なーく使っているものの、何かおかしくない?と思うことが多々ありまして。ちょっとその違和感について、考えてみたくなりました。別にこんなことをしたって、内定に近づく訳はないのですが。就活でモヤモヤした思いを抱えている皆さんには、何かしら琴線に触れる部分があるんじゃないか、と思いまして。うだうだと考えてみた次第です。今回取り上げた用語は、

・志望動機
・自己PR
・空白期間、ブランク
・社会人
・(キャリアや経歴に関して)傷、汚い

の5つ。どれも頻出、まぁよく耳にしますね。この5つの用語に関して、ちょっといろいろ思うところを書いていきます。皆さんも、共感するところがあるかもれません(ないかもしれません)。それでは、はいスタート。

1. 志望動機

重い、重すぎる。志望動機って重すぎる…!だって、志望動機って…「志して望む」動機ですよ!志して望むんですよ!何たる崇高な、高邁な意思。それを、こんなに軽々しく求めてくるなんて…。私には畏れ多くて、とても口にはできません。いや、ホント…。志して望まないと、働いちゃダメですか?もっと、ふわっとした動機で動いちゃダメですか?人間って割とこう、ふわふわした生き物なんじゃないの?

あとですね、根本的な話なんですが。正直、志して望むほど、御社のことを知りません!ぜーーーんぜん知りません!!だってね。私の持っている情報、ホームページと求人サイトくらいしかないんですよ。そこに載っている、薄っぺらーい情報しかないんですよ。それで志して望む、崇高な、高邁な意思を形成しろ!というのは…。ちょっと、要求レベルが高すぎません?という話でして。

そりゃまぁ、いくつか応募した理由くらいなら、あるにはありますけども…。「志望」って言葉は重すぎません?だって、志して望むんですよ!いやまぁ、最終面接くらいの段階なら、まだ分かりますけども。ちゃんとお話を重ねてきて、御社のことをよく知った段階なら、まだ分かりますけども…。書類選考の段階で、いきなり志望動機って重すぎません?私だったら、重くて動けなくなっちゃいますよ。それに…。いくら志望動機がよくても、感動的であったとしても、落とすときは落とすでしょ。ウチの空気とは合わない、とか何とか言って…。

2. 自己PR

自己PRって何ですか?どういう用語ですか?えっ、いきなり自己をPRしろって…?60秒で?――あまり、日本人らしくない発想ですね。普通日本人って、自分のことをガンガン語ったりしないもんですが。面接になると、急に語れって言うんですね。アイドルのオーディションならまだしも、経理とか総務とかにそんなPRスキルが必要なんですかね?営業でも、そこまでは要らんような…。だいたいねぇ。我々凡人は、自分をそんな有能だとか、スゴい人だとか思ってもないし、言えないもんですよ。それに。そんな激しい自分アピール、ウザくないですか?ヘイ御社!俺スゲー奴、採用しよーゼ!なんて。いきなりナンパしてくる、勘違い男みたいでキモくないですか…?そういうの、本当に聞きたいんですか?まぁ聞きたいのでしたら、聞けばいいでしょうけど…(私だったら聞きたくないけどなぁー)。

あとねぇ。自己PRって茶番の極みというか、あまりに形式的すぎません?いかにも(原稿)用意してます!みたいな。だいたい、60秒だか90秒だかで用意した自己PRで、その人の人格や魅力を推し測れるもんなんですかねぇ。だってさ。この手の自己PR、正直ちっとも面白くないし、何かズレていることも多いし…。ヘンに用意してくると、ヘンなことになるのよ。それが自己PR。自己なんてPRしても事故るだけ。それが自己PR。そう思いません?だいたいさぁ、誰が考えたの?この自己PRという概念。――リ◯ルートかな?どうせ、リ◯ルートあたりじゃないの?あいつら、人を踊らせるのが上手いからさ~。踊らされてるんじゃないの?別に訊きたくないんだったら、訊かなくていいんだよ、自己PR。どうせ、短くてつまんないスピーチにしかならないんだし。短い面接時間、もっと別の質問考えてみた方がいいんじゃない?

3. 空白期間、ブランク

空白期間があるのはおかしいですか?異常ですか?面接のたびに思うんだけど、何でそんなに気にするの?本人が気にしていないことを他人が気にするなんて、何か不思議。いやぁ~、よく訊きますよね。その間、何してたんですか?って。まぁ知りたければ、教えますけど。例えば…、

・家にこもって、ひたすらネット小説を書いてました!
・新薬の治験で、モルモット役として長期間病院に軟禁されてました!
・変な宗教団体に入って、あいまいに勧誘や健康食品(?)の販売をしてました!
・ニューハーフ風俗で女装して、ケツを掘ったり掘られたりしてました!
・何もしてませんでした!

とか。ちなみに、このなかにはいくらかほんとうの話も混ざっているのですが、フツーに引かれましたね(まったく…、訊いてきてその顔はないんじゃないの?)。まぁ、そういうときは訊いてきたヤツが悪い、ということで。

ところで、素朴な疑問なんですが。空白期間を気にする方って、いったい何を気にしてるんでしょうね?――単純に(ブランク的な意味合いで)業務経験が浅いとかなら、まだ分かるんですが。何かまともじゃないとか、人間的におかしいんじゃないかとか、そういう見方をしているフシがありますよね。でも、それってどうなんでしょう…?長い人生、ちょっと寄り道したり、学校や会社の外でやりたいことをやったり…、それくらいはあって当然ではないでしょうか。むしろ健全な営みではないでしょうか。人によっては家庭を大事にしたい、そういう時期もありますよね。

そのように考えれば、多少の空白期間やブランクくらい、ごく普通のことに思えます。ていうか普通です。何で異常者扱いするの?という感じです。ちなみに、海外ではギャップイヤーといって、積極的に空白期間を設ける動きもあるようですね。

www.huffingtonpost.jp

あえて空白をつくって、何かに挑戦する、やりたいことをやる。いいじゃないですか、そういう期間があっても。自分を見つめなおす、いい機会ですよ。まぁもちろん、過ごし方は人それぞれなので。無為に過ごしてしまう可能性もありますけども…(そこは自己責任で)。

あと、そもそもなんですが。組織や学校に属しているだけで何かやっている、属していないだけで何もやっていない、という訳ではありませんからね。ちょっと周りを見渡せば、分かるとは思いますが。属していても、なーんもやってない人はそれなりにいますし。属していなくても、何かやっている人はそれなりにいます。何も組織や肩書きがないと何もできない、なんてことはないですからね(もちろん、あった方がやりやすいことも多い)。

空白期間も、過ごし方によっては人生を豊かにします。見方によっては、空白期間のない方が人生経験が狭い・偏っている、そういうことだってあり得ます。えっ?あんた、失業保険ももらったことないの?なーんて言って。ハロワ行くのも楽しいですよ~、人生経験ですよ~~~(前向きに捉えましょう)。

4. 社会人

社会人って何ですか?会社に就職した人のことですか?つまりは会社員。じゃあ、会社員以外は社会人ではないのでしょうか?――例えば、自営業者やフリーランスはどうなんでしょうか?パートやアルバイトはどうなんでしょうか?主婦・主夫はどうなんでしょうか?子どもは?学生は?退職した高齢者は…?――どうも、よく分かりませんね。皆、この社会の構成員であることには間違いないのですが。この、いわゆる社会人という枠からはハブられがちですよね。何なんでしょうね、社会人って。

まず、働いている・働いていない、という線引きはありそうですが。先ほど挙げた、自営業やフリーランスは働いていますし。パートやアルバイトだって、時間は短いかもしれませんが、働いています。主婦・主夫だって、家事労働という言葉もありますからね。賃金が出ないだけで、ある意味働いています。子どもや学生は勉強が仕事、なんて言ったりもしますね。学校に塾に、大変ですよね。はい。ここまでくると、働くとは何か?みたいな哲学的な問いにもなってきますね。ただまぁ何というか。働いている・働いていない、の線引きがあまり有効でないことだけは分かった気がします。それに。たとえ無職であっても、生産はせずとも消費はしていますし(その観点でいえば赤ちゃんだってそう)。立派な、社会の構成員であることには違いありませんからね。職があろうとなかろうと、社会で役に立っていない人間なんていない訳です。

にもかかわらず、なぜ社会人という妙ちきりんな言葉を使って、人間を線引きしようとするのでしょうか?どうも、今の日本社会は会社員、とりわけ正社員(正規雇用、フルタイムの会社員)か否か、で線引きしたがるフシがあるようですが。その線引き、つまり正社員をわざわざ特別扱いする意味って、いったい何なんでしょうか?――正社員だけ偉いとか、社会における価値が高いとか、上級国民、特権階級とか思ってるんですかね?まさか…、思ってないですよね。だって。正社員でなくとも、よく働き、社会に貢献している人はいっぱいいますし(皆さんの職場にもいませんか?やたら仕事のできる派遣社員とか)。企業ではなく、地域や家庭で活躍している人もいっぱいいますからね。そういう人をバカにしたり、低く見たりは…、フツーの感覚をお持ちの方ならしませんよね。する訳ないですよね。何ですか、社会人って。正社員だけ社会人、そうでない人は社会″外″人ですか?そんな訳ないでしょう!だから、そういう線引きは今すぐ見直していただきたい。社会外人なんて嫌だーーー!

5. (キャリアや経歴に関して)傷、汚い

何ですか、人の履歴書を見て汚いとか、傷だらけとか。何を考えているんですか?キャリアや経歴なんて、人生そのもの。それを汚いとか、傷だらけとか、グチャグチャだとか。こき下ろすのは、いったいどういうおつもりですか?無神経だとは思わないんですか?あなたは、人(=赤の他人)の人生の何をお分かりなんですか?履歴書の表面的、断片的な情報だけで、すべて分かったように人を評する。そのような傲慢な姿勢はいかようにして身に付いたんですか…?

こんなの暴力ですよ、暴力。人格に対する暴力、人生に対する暴力。思い出してくださいよ。あなただって、今までいろんなことがあったんじゃないんですか?例えば、仕事が上手くいかなかったり、出世をしそこねたり、人間関係でひどく悩んだり…。いろいろあったんじゃないですか?そういう困難を乗り越えたり、乗り越えられなかったりして、今のあなたがあるんじゃないんですか…?そういうプロセスを、他人に傷だの汚いだのボロクソに言われて、あなたはどのように感じますか?おそらく決してよい気分にはならないでしょう。

不思議なんですよ。人はなぜこんなにも残酷になれるのか。人の人間性や人生観を否定し、精神や気力をズタズタに毀損する行為。そんな残酷な行為をなぜ平気で行えるのか。人を選ぶという立場が何かを狂わせるのだろうか…。そんなふうに、ぐにゃぐにゃうにゃうにゃ考えてしまいます。でもいくら考えても、謎は深まるばかりで解決には至りませんし。ただただ鬱屈が深まっていくだけです。

ところで。長く1社に勤めるととキレイ、転職が多いと汚い。短期間で離職すると傷、空白期間があっても傷。そもそも、こういった観念はどこから生れてきたのでしょうか?そもそも、キャリアや経歴にキレイも汚いもあるのでしょうか?

たとえ短期間で離職しても、何かしら経験はあるでしょうし。自分の向き・不向きが分かった、そういうことだってあるでしょう。それは、己の人生やキャリアを転換する好機、としても捉えることができます。また、たとえ転職回数が多くても、その分幅広い経験を得られたかもしれませんし。多様なスキルが身に付いたかもしれません。他の業界へ移って視野が拡がった、今の会社で前職の知見を活かせた、そういうことだってあるでしょう。1つの会社だけではできない経験、1つの業種だけでは見えない視野、1つの職種だけでは身に付かないスキルだってあるはずです。ときには、他の会社に飛び移ることだって、重要で有力な選択肢となり得るでしょう。

一方、ずっーと同じ会社に勤めていても、やりたい仕事ができない、スキルが身に付かない、何か居心地が悪い…、そういうことだってあるでしょう。そういうときに我慢して同じ環境に居続けることが、その人の人生やキャリアにとって本当に正解なのでしょうか?必ずしもそんなことはないと思います。もちろん、安易に会社を辞めろ、転職しろ、などと言うつもりはありませんが。転職で何でも解決する、という訳でもありませんが。それでも環境を変えることは、停滞した現状を変え、新たな経験や活躍の機会を得るチャンスにはなります。転職したら人生が変わった、見違えるように変わった、そんな人たーくさんいますよね。1つの会社にずーっと居続けることが正しい、ずーっと居続けることが幸せ、必ずしもそんなことはないはずです。

以上、これまでの議論を踏まえると。履歴書がキレイとか汚いとか、そういうものはかなりいい加減な、一部の表面的な印象をもとにした評価に過ぎないように思うのです。そりゃまあ、そうですよね。たかが履歴書の数行で、一体何が分かるんだ?という話ですよね。どんなキャリアであれ経歴であれ、その人なりに得た経験や学び、誇りやプライドがあります。それを、いま会ったばかりの他人がどう言えるんだ、という話です。

結局は、転職も離職も空白期間も、それを「活かす」ことが大事なのではないでしょうか?何か活かすことができれば、傷だの汚いだの言われる筋合いはありません。実際、本人としては傷とも汚れとも思っていない…、なんてことも多いですよね。それでいいと思います。人からどう言われようが関係ありません。自分が満足するキャリア、人生を歩めればそれでいいんです。あと、採用担当者の皆さん。もうちょっと謙虚になっていただけませんか?人の人生、そんな簡単に分かるもんじゃありませんよ。

以上、それでは今回はこのへんで…。