ひきこもり科学館

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(赤字がどうした?)公共交通に採算性を求めすぎてはいけない、という話

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 現在、日本では地方を中心に、不採算の鉄道・バス路線が次々と廃止されています。路線図から、多くの路線が消え去っています。しかし、ただ「採算が取れないから」といって、そう簡単に廃止してもいいのでしょうか?それは、地域経済・社会にとって、本当に正しい選択なのでしょうか…?どうも、私には視野が狭すぎるように見えてなりません。そもそも、鉄道やバスなどの公共交通に、採算性を求める必要があるのでしょうか?ここから、少し考えてみましょう。

 

① そもそも、公共交通は儲からないもの

 まず、先に言っておきますが、そもそも公共交通は儲かるものではありません。なぜなら、やたら設備投資・維持にお金がかかるのに、それをちゃちな運賃でしか取り返せないからです。はっきり言って、ビジネスモデルとしては「ベリーハード」です。これで「黒字」にするには、相当な人に乗ってもらわないと無理です(山手線くらいに)。だから、公共交通は「赤字」で当然な代物なのです。実際、日本の鉄道・バス事業者の8割くらいは「赤字」になっています(残り2割くらいは、すごく条件のいいところです)。そういう意味では、本来、民間部門にできる仕事ではないのかもしれません…。今でこそ、JRは民間事業者ですが、かつて「国鉄」だったのにはそれなりの理由がある、ということです。

 

(補足)

2016年11月、JR北海道が「当社単独では維持することが困難な線区について」を発表し話題となりましたが、これは地域鉄道がいかに儲からないのか、ということを如実に表しています。

 

② 地方の鉄道・バス路線はいらないの?

 ただ、「採算が取れないから」と言っていては、地方の鉄道・バス路線はほとんどなくなってしまいます。ズバリ、地図から消えてしまいます。実際、JR北海道なんかは、ほぼ全ての路線で「赤字」ですからね…。北海道から鉄道が消える日も、いずれ来るかもしれません…。しかし、それでいいのでしょうか?いくら「赤字」だからといって、地方の鉄道・バス路線は「いらない」のでしょうか…?いいえ。決して、そんなことはありません。公共交通は私たち市民の足です。「なくなったら困る」という人が必ずいるはずです。もちろん、マイカーに乗ってどこへでも行ける、という人もいるでしょう。しかし、世のなかは、そんな人ばかりではありません。クルマを運転できない高齢者や障がい者、クルマを持てない低所得者、そもそも免許が取れない学生などなど…。こうした人たちは、(鉄道やバスなくして)どうやって日々の用事を済ますことができるでしょうか?……できませんよね。どう考えても、できませんよね(*)。だから、そう簡単になくしてもらっては困るのです。実際、まともに買物や通院ができない、となれば生命に関わる問題にもなりかねません。どうも、こうした事実の重大性が見落とされているように思うのです。

 

*将来、自動運転車が実用化・普及すれば話は別です。

 

③ 公共交通には多くの社会的便益がある(事業者便益の外側にある便益にも、目を向けよう)

 これまで、公共交通の存廃を巡っては、あちこちで散々議論されてきました。しかし、そこで語られるのは決まって採算性、すなわち事業者便益の話ばかりです。これは、ちょっと視野が狭すぎるのではないでしょうか…?公共交通には、事業者便益のほかに、たくさんの社会的便益があります。社会的便益とは、(事業者ではなく)社会や地域全体に広く行きわたる便益のことです。公共交通の社会的便益といえば、まず第1に、アクセシビリティの向上です。つまり、いろいろな場所に速く移動できるようになるのです。すると、どうなるでしょう…。住民たちはあちこちに働きに出たり、遊びに行ったりするようになります。それが、地域における経済活動、社会・コミュニティ活動を活性化させるのです。つまり、公共交通には、地域や住民を元気にさせるチカラがあるのです。また、こうした期待から、公共交通は「まちづくり」や地域開発の主体にもなります。それだけではありません。公共交通には、クルマが減少することによる環境負荷の軽減、交通事故の減少なども期待されています。このように、公共交通には多大なる社会的便益があるのです(見えにくいだけで)。これらは、たとえ事業者の収入にはならなくても、地域や社会にとっては多大なる意味・価値を持っています。したがって、公共交通を巡る議論ではこれら社会的便益も含めた、広い視野で議論しなければ意味がありません。

 

④ 不採算でも、利用者便益を犠牲にしてはならない

 (当たり前のことですが)公共交通は、利用者便益がなければ利用されません。つまり、人々に「便利」とか「役に立つ」とか、そう思われない限りは利用されないのです。よって、公共交通の場合は、たとえ不採算でも、安易に利用者便益を犠牲にしてはならないのです。公共交通の現場では、しばしば「利用者が少ないので、運行本数を減らしました」ということがあります。しかし、それではダメなのです!利用者の視点に立ってください。これまで30分に1本走っていたバスが、1時間に1本しか走らなくなったら、どう思いますか?「えぇ~、使いにくいなぁ」とか「待ち時間が増えて、面倒くさいな~」とか、思いますよね。そうなると、別の手段で行こうとか、そもそも行くのやめようとか、いろいろ考えますよね。それで、あれこれと考えた末に、以前使っていたバスも使わなくなったりするのです。このように、公共交通では下手にサービスを低下させると、かえって利用者が遠ざかってしまいます。そして、それとセットで採算性も悪化してしまうのです。いわゆる「負のスパイラル」ですね。だから、安易に利用者便益を犠牲にしてはならないのです。公共交通の場合、長期的にみて採算性を改善するには、サービスを向上させなければなりません(それでも、決して「黒字」になるとは限りませんが)。そのため、多少無理をしてでも、まずは良質なサービスを提供することが大事なのです。(採算性の前に)自分から与えるということが、ものすごく大事なのです。お客さんは後から付いてくる、と割り切るくらいでないといけません。

 

⑤ 公共交通は、もっと地域全体で支えていこう(公費投入も検討すべし)

 残念ながら、公共交通は基本的に「赤字」です。それこそ、企業努力ではどうにもならないレベルの「赤字」を出しているところも、決して珍しくありません(特に、沿線人口の少ないところは)。そのため、公共交通は事業者だけに任せていては簡単に潰れてしまいます。したがって、本気で公共交通を存続させるには、周囲からの支援が不可欠なのです。という訳で、ここで1つ提案をします。公共交通は、もっと地域全体で支えていきましょう。それは行政でも、民間企業でも、地域住民でも構いません。地域の経済・社会に関わるあらゆる主体が、サポートに入っていけばいいのです。例えば、自治体なら運営費を補助するとか、地元企業なら自社の広告を出すとか、地元商店会なら協賛イベントを開くとか…。それぞれに、できることをやればいいのです。当然、地元住民だったら…、簡単ですね。自らどんどん乗ってください(*)。まぁ、何だか理想論くさいといえば、そうだと思います。しかし、ちゃちな運賃だけで公共交通を維持しよう~、というのは、それ以上に理想論くさいとは思いませんか?何度も言うように、公共交通というのは、それ自体で儲かるようにはできていません。なお、公費投入はときに批判されることもありますが、間違いなく選択肢に取り入れるべき手段です(地域住民との合意形成が必要ですが)。何せ、これ以上確実で、手っ取り早い手段はありませんから。税金だって、使う価値のあるところには、ちゃんと使うべきなのです。このようにして、公共交通を地域全体で支えるためにも、今後は地域全体で公共交通の存在意義・価値を共有することが求められるでしょう。

 

*もちろん、事業者の経営努力は欠かせません。ダイヤや本数を調整したり、他の交通機関と連携をとったりして、多くの人に「乗ってもらえる」ようにしていく必要があります。また、本業の運輸サービス以外に、不動産や建設、流通など、収益源となる部門をつくるのも1案です(このあたりは、JR九州が得意ですね)。

 

(おわりに) 

 以上、公共交通のあり方について考えてみました。もちろん、採算性も無視はできません。しかし、それに固執するあまり、ほかの大切なことを見失っては正しい判断ができないのです。よって、今後は事業者便益だけでなく、社会的便益や利用者便益も含めてトータルで議論することが求められるでしょう。