ひきこもり科学館

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洗脳だらけの学校教育 ~毎日学校に通うと、バカになります

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今回は、学校教育について長々と語ります。ちょっと毒づきます。

(本稿では、やや過激で飛躍的な主張もあるかと思いますが、ご容赦ください)

 

1. 毎日学校に通うと、バカになります

突然ですが、皆さん。
毎日学校に通っていると、バカになります。
賢くなるのではありません。
バカになります。

それはどういうことか、と言いますと…。
学校が育てるのは疑問を持たない子、ものを考えない子だからです。

皆さんも、先生からこんなことを言われませんでしたか?
「いいからやれ」とか、「とにかくやるな」とか。
「とにかく覚えろ」とか、「考えるな、覚えろ」とか。
言われましたよね?日本で学校教育を受けてきた方で、言われたことがない、なんて方はいないと思います(いたら、ぜひおっしゃってください)。

冷めた頭で考えてください。この手の発言って…、つまり…、
バカになれ、ということですよね。
要するに、思考の停止を促す発言ですよね。学校というのは、(わざわざ)疑問を持たない、ものを考えないバカを育てているのです。

それだけではありません。
毎日学校に通っていると、凡庸になります。つまらない人になります。

それはなぜか、と言いますと…。
学校が育てるのは、人と同じ子、型からはみ出ない子だからです。

皆さんもあるでしょう。学校の先生から、こんなことを言われたことが。
「みんなと一緒に◯◯しなさい」とか、「先生の言うことには従いなさい」とか、「苦手科目はなくしなさい」とか。

これって…、要するに、規格化、均質化を促す発言ですよね。学校というのは、(わざわざ)凡庸な、普通な、無個性な子を育てているのです。

いやまぁ、もちろん…。最低限の知識とか、社会性とか、そういったものを身に付ける意味での規格化、均質化を否定するつもりはありませんよ。ただ、これが行き過ぎて、無機質なロボットになっていませんか、と。従順なロボットになっていませんか、と。そう思うのです。

で、何でこんなことになるか、と言いますと…。
その方が、お上に都合がいいからです。

そもそも、近代的な学校は、従順な労働者や兵士の養成機関としてつくられました。「富国強兵」的な発想のもと、国の経済や軍事力の成長に貢献する、立派な国民を育てるためにつくられました。つまりは、文句を言わずにバリバリ働き、たくさん税金を納めてくれる人がほしい!ということですね。

そのためには、とにかく指示に従わせることが大事であって、意味不明な校則でさえ守らせる必要がある、ということですね。勉強も運動も“そこそこできる”ことが大事であって、得意科目がいくつあろうが、苦手科目が1つでもあれば、ケツをバシバシ叩く必要がある、ということですね(ヒトって、本来そんな万能にはできてないと思いますが)。

はい。そのような指導方針のもと、学校はお上にとって都合のいい、バカで凡庸な人間(いや、ロボットか?)を育て上げています。

そういう学校にとって、下手に「賢い」生徒は面倒くさい(あるいは扱いにくい)存在です。いちいち、
・この校則には何の意味があるのだろう?
・この年号を覚えて、一体どうするのだろう?
・それ、先生の主観じゃね?好みじゃね?
などと考えてしまう、ましてやそれを口に出してしまう生徒は、先生にとって脅威でしかありません。何せ、学校の指導方針に真っ向から対立しかねませんからね。ただ、そういうことまで考えるのが、ある意味、本当の「学び」でもあるように思うのですが…。しかし、学校にとっては、考えてほしくないようです。

 

2. 子どもの貴重な才能を潰す学校教育

先ほども述べましたが、日本の学校教育には生徒を規格化、均質化しすぎるきらいがあります。それは、ときに子どもの貴重な才能を潰すことにもなるのです。

学校の先生は、よくよく「苦手科目は潰さないと…」と言います。まぁ確かに、できないよりはできる方がいいし、受験対策としては間違っていないと思います。しかし、それが行き過ぎると、せっかくの才能が発芽・伸長しなくなってしまいます。具体的には、好きなことに没頭したり、得意なことを究める機会が失われてしまいます。

例えば、プログラミングが好きでアプリをつくっていると、横から「それより(苦手な)英語をやりなさい」、日本史が好きで江戸期の古文書を読み漁っていると、横から「それより(苦手な)数学をやりなさい」と言うのです。これでは、せっかくの才能がどこかに行ってしまいますよね。

そもそも、なんですが。何でも、人並みにできないとダメなのでしょうか?何でも、努力で克服することができるのでしょうか?―そんなことはないはずです。そもそも、人にはそれぞれ、適性というものがあります。苦手なものを頑張っても、せいぜい人並みにしかならない、というのは皆さん経験済みでしょう。逆に、大して頑張らなくても「何かイケるな」というものも、皆さん経験済みでしょう。かの林修先生も、「大した努力をしなくても勝てる場所で、誰よりも努力しなさい」と言っていますしね。が、しかし…。学校というのは、やたら負け戦に精を出しますよね。勝てない場所で努力をさせますよね。もうやめてくれよ、と思ったことは一度や二度ではないでしょう。

加えて、学校って教科の勉強以外はすごく冷たいですよね。例えば、中国が好きで中国語を勉強していると、「何だお前は、それより英語を(~勉強しなさい)」、お菓子が好きでケーキをつくっていると、「何だお前、遊んでいる場合か!」なんて言うのです。中国語もケーキづくりも、立派な勉強だと思うのですが…。どうも、テストに出ない、点数にならない勉強はぞんざいに扱われがちです。

で、これって、結構悪影響が大きいと思っていまして…。学校教育が植え付ける、教科の勉強に偏重した価値観は、子どもの視野を不当に狭めてしまいます。具体的には、教科の勉強以外のことに目を向ける機会を奪ってしまったり、教科の勉強以外のことを無価値なものと思わせてしまったりします。そのために、(教科の勉強以外の)本当に好きなこと・得意なことに気付けない人、気づいても、力を入れることができない人が少なくないのです。例えば、絵を描くのが好きでも「こんなの、意味ないよなぁ~」とか、写真を撮るのが得意でも「こんなこと、やってもなぁ~」とか、勝手に思ってしまうのです。そのために、せっかくの才能が発芽・伸長しなくなっているのです。よく、大人になっても「やりたいことが分からない」、就活の時期になっても「やりたい仕事が見つからない」という人がいますが、そのこととも決して無関係ではないように思います。まぁ、一部の受験エリートは、まだいいかもしれませんが(あれ?こういう人たちにも「やりたいことが分からない」って人、結構いるぞ)。

 

3. 悪質な洗脳で、偏見や差別を植え付ける学校教育

何だか、疲れてきましたね。だがしかし…。まだまだ、それだけではありません!
学校は悪質な洗脳までするのです。
著しい偏見や、時代遅れの差別観まで植え付けるのです。

例えば、学校って未だに古くさい性別役割観、ジェンダー観を押し付けていますよね。まず、制服だってそうですし。体育の授業だって、無意味に男女で分けたりしますし。教室の座席だって、これも男女で列を分けたりしますし…。その上、女子には絶対怒らない教師とか…。これでは、男女差別がなくなるどころか、モリモリ再生産されてしまいます。何が男女共同参画だ、ジェンダーフリーだ!そんなの、口先だけじゃないか!と思うのは私だけではないはず…。

そう言えば…、私の通っていた高校には、今どき珍しいマラソン大会があったのですが。そのコースが「男子は8km、女子は3km」だったんですよね。あれ、納得いかなかったなぁ…。女子は8km走る体力がない、ってことですかね?それって、かなり舐めてません?もちろん、体力や体格に一定の性差はありますよ。それにしても、3kmはないでしょうよ。そんなひ弱ではないでしょうよ。学校の側から、女子は走れない、走らなくていい、なんていう間違ったメッセージを発してどうするの?そう、怒りたくなります。

ほかにも、いろいろありますよね。学校って、多かれ少なかれ意味不明な校則があるものですが。そのなかで、頭髪に関する規定がありますよね。大体、染髪、パーマの禁止あたりが多いでしょうか。なかには、(勘違いによる指導を防ぐため)地毛証明書なるものを書かせる学校もあるみたいですね。ただ、これって…。黒髪が普通で茶髪はおかしい、直毛が普通でくせ毛はおかしい、と言っているようなものですよね。単純に、容姿差別ですよね。このグローバリズム、ダイバーシティの時代に…。学校の側から、こんな偏った感覚を植え付けるなんて…。罪深いとしか、言いようがありません。

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まだまだ、まーだまだ、言いたいことはいっぱいあります。

日本の学校では、生徒が掃除を行いますが。ある日、一所懸命やって早く終わらせたら、なぜか怒られたんですよね。まだ(終わる)時間じゃないだろ、と。決して、サボった訳じゃないのに…。ちょっと本気を出したり、やり方を工夫したりして、早く終わらせただけなのに…。効率化するのは悪いことなんですかね?逆に、ダラダラとやるのがよいことなんですかね?掃除の教育効果がどのようなものなのか、よく分かりませんが(例えば、清潔感や勤労観を養うとか?)。時間までダラダラとやる、やっているフリをする、のが「よし」とされるならば、おそらくよい効果は得られないだろうな、と思います。


まだまだ。部活動についても、言っておかねばなりませんね。日本の学校って、やたら部活動が幅を利かせていますが。あれって、結構偏った思想、価値観を植え付けていません?

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例えば、不毛な根性論とか。未だに、「やればできる」「とにかく頑張れ」とか言って、ただひたすら長時間練習させてますよね(それこそ、バカみたいに…)。まさか、ウサギ跳びなんか、していないとは思いますが。それより、もっと効果的な(=短時間で効果が上がる)練習メニューを考えた方がいいかもしれませんよ。

あるいは、変な社会・人間関係論とか。部活動って、やたら人間関係が濃密だったり、上下関係が強かったりするじゃないですか。例えば、先輩が帰るまで帰れないとか。いちいち、イヤミな先輩のご機嫌をとるとか。素人顧問のズレた指導にも、感謝して従うとか…。こんなことを身に付けて、一体何をどうすると言うのですかね…(将来のブラック企業社員でも養成しているのかな?)。

あと、そもそもですが。日本の学校って、部活動の時間が長すぎですよね。「やりすぎ」ですよね。もっとほかに、やるべきことがあるんじゃないかな?何かしら、ほかのことに時間を振り分けた方が、賢くなれるんじゃないかな…?ましてや、それで(教科の)勉強ができないなんて、バカじゃないのかな…?そう思うのです。別に、部活動なんかほどほどにして、家でプログラミングをしたっていいじゃないですか。家で小説を書いたっていいじゃないですか(その方が、才能を活かせるかもしれませんよ)。あなたは(その部活動競技で)プロ選手にでもなるつもりですか?いやまぁ、その可能性も否定はしませんが…。

ここで、もう1つ。そもそも、十把一絡げに「全国優勝」が目標というのも、視野が狭いですよね。まるで、頂を目指さない者は「ろくでなし」みたいじゃないですか。目標なんて、「体力をつけたい」でも「友だちをつくりたい」でも、何でもいいのに…。勝てないからといって「自分はもうダメだ」とか。偏狭な競争主義によって、活動本来の楽しみを見失いかねないですよ。

うーん…。こうして考えると、部活動って学校教育の残念なところを凝縮しているようにみえます。本当にバカになりますよ。

関連記事:【部活動不要論】部活動って意味あるの? 実は「やりたくない」って人も多いのでは? - ひきこもり科学館

 

4. お金や法律…、肝心なことは教えない学校教育

さらにさらに。どうも、日本の学校って、肝心なことは教えないようにしてますよね。あえて、実力を付けないようにしてますよね。例えば、お金とか法律とか。

日本の学校は、勤労の美徳についてはよく教えます。「頑張って働きましょう」「皆の役に立ちましょう」と。それが人の生きる道です、と。にもかかわらず、お金のことは教えないのです。お金って何だろう、何のためにあるのかな、どうやって使えばいいのかな?―そういうことは教えないのです。おかしいと思いません?こんな、生きる上で重要なことを教えないなんて…。まるで、お金のことは考えるな!とでも言うかのように…。まぁ、それだけならまだマシですが。下手をすれば、お金は汚いものだとか、お金をふやすのは悪いことだとか、そんなことまで言い出しかねません。何なのでしょうね。これって、あえて国民を豊かにさせないようにしているのですかね?あえて従順な労働者、納税者に留めおくようにしているのですかね?その方が、お上にとって都合がいいから…。とはいえ、これって(長い目でみれば)貯蓄を促し、投資を手控えさせ、経済を停滞させているようにもみえるのですが。どうなんでしょうかね?

次は、法律について。日本の学校って、ルールを守ることは教えても、法律の知識は教えませんよね。例えば、民法とか、労働法とか。これを知らずして、法治国家・日本を生き抜けと言うのかよ⁉と思うところが数多あります。ここで1つ、質問です。

皆さんは、契約とは何なのか、契約書はなぜ重要なのか、について説明できるでしょうか?

―おそらく、できない方が多いかと思います。しかし、できないでは困るのです。何せ、いざというとき、身を守る術が分からない、と言っているようなものですからね。これでは、悪い人、ずる賢い人にカモにされてしまいます。何もこれは、犯罪者に限った話ではなく…。国家や資本家にとっても、そうなのです。だって、国家や資本家にとっては、我々からいかにスマートに搾取するか、それが大事ですからね。だから、変に権利を主張してもらっては困る、ただ黙々と働いておいてほしい、と。そういうふうに考えています。だから、法律なんて知ってもらっては困るのです。法律なんて知ってもらっては、何かと不都合なのです。

 

5. 不登校の子の方がセンスがいい?

本当に、毎日学校に通っていると、バカになりますよ。もう通うな、というのは極端ですが。少なくとも、皆勤賞を目指すようなものではないですよ。そんな、いいものではないですよ。だから…、そうですね。今後はもっと、学校以外の場所での教育を大事にした方がいいかもしれません。例えば、家庭とか、地域とか、あるいはネットとか。いろいろありますよね。つくづく思うのですが。皆さん、学校教育を信頼しすぎですよ。教育を学校に任せすぎですよ。少なくとも、教育を学校に丸投げなんて…、考え直した方がいいかと思います。

ここで思ったのですが。ある意味、不登校の子の方がセンス(感性)がいいのかもしれません。何せ、学校という場所に強く違和感を感じている、ということですからね。感度が高いのですよ。そういう子って…。だから、そういうセンスを活かす方向で考えてみましょう。学校以外の場所で何かやらせてみると、すごく活躍するかもしれませんよ。勉強でも遊びでも、何でもいいですし…。「学校なんか、やってらんない」「学校には自分の居場所がない」、そういう感覚をむしろ大切にしてほしいと思います。

それでは、今回はこのへんで。


(こちらもどうぞ)
ただ漫然と、学校に通っているとバカになります。これからはあえて、学校に通わない日をつくってみるのもよいかもしれません…。いわば「戦略的不登校」という提案、こちらもぜひお読みください。

www.neetland.com

 

(参考文献)