家賃が高い。
満員電車がツラい。
子育てがしにくい…。
何かと生きにくいところのある東京だが、それでも東京へ向かう人の流れは止まらない。地方の人口減少が続くなか、東京は着々と人口を増やしてきた。統計によると、都の人口は2000年に約1200万人を突破、2020年に約1400万人を突破と、ここ20年ほどでおよそ200万人も増加している(→参考資料)。その理由は何であろうか?――就職や進学のため、と言ってしまえばそれまでだが。ここでは、もう少し広く深く考えてみたい。何が、人々をそんなに惹き付けるのか。――何かしら人生を変えたい、役に立つ経験をしたい、自分の居場所がほしい、とにかく地元から出たい…、いろいろあるはずだ。住み慣れた地を離れてでも、東京へ行きたい。その想いは、いったいどこから出てくるのであろうか。その想いの源泉を探りたい、探っていきたい。
・豊富な機会を求めて
東京は機会が多い。就職や進学、買い物や趣味のあれこれまで、東京はとにかく機会の多いまちだ。現実にさまざまな機会を求めると、自然と東京へと行き着く…。誰しもそういう経験はお持ちであろう。特に常に機会を求める、チャンスを掴みたい若者にとって、東京は特別な、ある種の目的地たり得る場所だ。
・仕事を求めて、夢や目標を追って
多くの人には仕事が必要だ。仕事をして収入を得ないことには、食っていけない。ではその仕事はどこにあるのか、というと東京だ。東京が多い。いわゆる上場企業の本社は、その半数ほどが東京に集中している。新進気鋭のベンチャーだって、その多くは東京にある。そんななか、自分の夢や目標を近づくためには、やはり東京へ行って仕事を探した方がよい、と考える者は少なくない。大企業に入りたい!というミーハーはもちろん、イケてるベンチャーに行きたい!ニッチだけど〇〇業界に入りたい!など、多くの人が東京を志向することになる。特にやりたい仕事が明確な人、ニッチな業界を目指す人は、東京へと向かわざるを得ない。地元(地方)にそんな仕事などないからだ。特に出版やアニメなど、東京一極集中の著しい業界では、その仕事に就くことが、イコール東京へ行く、東京に住むということになる。逆に、地元にいたら編集者になんかなれないよ、アニメーターなんかなれないよ、そういう話である。
実際、地方出身者はほぼ必ず経験するところであるが。【東京を避けて仕事を選ぶ】というのは、なかなかにツラいものがある。何だこの縛りプレイ、きっつ―、そう感じたのはあなただけではあるまい。以前、関西で就活していた私でさえそうなのだから、北海道や九州・沖縄だったらいったいどうなるんだ、という話である。もちろん、地元にも仕事がまったくない訳ではない。ただ往々にして、それはあなたが求める仕事ではないのである(役所と地銀と農協しかない世界を、皆さんはご存知だろうか?)。まだ人生を諦めていない若者にとって、地元の仕事はいささか退屈な、欲求不満なものになりがちだ。持て余したエネルギーを発散できない。もちろん、東京にある仕事が必ずしもよいものである、とは限らない。編集者やアニメーターなんて、労働時間の割に給料は少ないし。見方によっては非常にキツい仕事であろう。だが、それでもやりたい、挑戦したい仕事なのである。もちろん現実は厳しいし、理想とのギャップにも苦しむであろう。しかし、やらずしておのれの人生に納得できるか、持て余したエネルギーを発散できるか、そういう話である。そんな訳で。一度は夢や目標に挑戦したい、地元にいたら挑戦すらできないよ、そう思った若者は東京へと出ていくことになる。それ自体はごく自然な流れである。いいんだ、行ってみろ。その結果がどうであれ、いざとなれば地元へ戻ればよいのだ。実家へはいつでも戻れる。
・どうせ進学するなら…
先ほど述べたように、仕事を求めて東京に出てくる者は多いが、その前段階、進学の際に出てきている者もけっこう多い。大学にしろ専門学校にしろ、高等教育機関は東京に多いからだ。地方に行くと、地元(実家)から通える大学なんてないよ!という地域がけっこうある。仮にあったとしても、その選択肢は数えるほど…(例えば、地元の国立大1つだけ)という地域がけっこうある(私の大学の先輩に和歌山県の新宮出身の人がいたが、そういうやつだ。新宮からは和大にすら通えない…、選択肢なんてない。そういう話だ)。そんな人たちが、どうせ実家を出るのなら…と、東京へどっと押し寄せている。東京へどっと流れ込んでいる…。そりゃそうだ。どうせ入るなら、本当に入りたい大学、本当に学びたい分野に進みたいに決まっている。ここで(地元がどうとか言って)ヘンに妥協してどうする?というのは確かにある。私が親だとしても、地元でやさぐれるくらいなら東京へ行け、と言うだろう。こうして未来ある若者たちは、地元から東京へと旅立っていく。そして…。まぁどうせ一時的なことだし、卒業したら地元に戻ってくるよね!と思ったら、割と高確率で戻ってこなかったりする(そりゃそうだよね。東京の方が就活もしやすいだろうし…)。
・消費の刺激を求めて
仕事をしてお金を稼ぐことも重要だが、人生の喜びや楽しみのために、お金を使うこともそれ以上に重要だ。お金は使ってこそ、お金は使うためにある。その点においても、東京は楽しみの多いまちだ。消費の機会、選択肢が山ほどある。例えば…。服にしても、誰もがうらやむ最高級ブランドから、海外のマイナーブランド、量産型ファストファッションまで。食べ物にしても、銀座のフレンチから神保町のカレー屋、上野のエスニック料理屋まで。実にいろいろある。こうした消費の刺激を求めて、人々は東京へと吸い寄せられていく。もちろん、モノさえあれば人は幸せになれる、とは言わないが。モノがいっぱいあるだけでも楽しい、ワクワクする、そういう面はある。今の時代、Amazonなり何なりで生活に必要なものは揃う、とはいえ。やはり、実際のお店を見て回る楽しさ、というものはある。ウィンドウショッピングという言葉があるように、買おうが買わまいが、まちをお店をブラブラするのは楽しい。それに。服とか靴とか、バッグとか実際に見たいじゃん。本だって、偶然目に留まる面白いヤツがあるじゃん。そういうリアルな出会いが大事なんだよ、というところはある。
・趣味性の高い消費
消費は消費でも、東京は趣味性の高い消費に向いたまちだ。ここで言う趣味性の高い消費というのは、単に実用性や見栄だけではなく、自分だけのこだわりや遊び心を追求する、そういう消費の仕方のことだ。東京はそういう消費ができるまちだ。例えば…。このお酒のもっといいヤツがほしい、このグラスのもっといいヤツがほしい、と思ったときに、東京ではちょっと調べれば、ちょうどいいお店がすぐに見つかる。自分がちょっと凝りたいな、こだわりたいな、と思ったものの専門店が必ずある。そういった趣味性を掘り下げる消費ができるのが、東京のいいところだ。もちろん単に生きていくだけなら、スーパーの安酒に百均のグラスで十分であろう。しかし、ここで何かにこだわったり、遊んだりするからこそ、人生に潤いが生まれるのだ。何でもいい。時計でもスニーカーでも、古いレコードでも何でもいい。どんなジャンルでもいいから、自分なりのこだわりや遊び心を大切にしてほしい。それが、あなたの人生をかけがえのないものにするのだから。東京はまちが楽しい、一つひとつのまちが個性的で魅力的だ。例えば、秋葉原の電気街を回ってPCを組み立てたり、神保町の古書店街で古い小説を買い漁ったり、かっぱ橋の道具街でちょっといい包丁を探したり…、いろいろできる。いろんな楽しみがある。こうした、まちとしての楽しみも忘れてはならない。そのなかには、自分のお気に入りのまちもあるかもしれない。ぜひいろんなまちを回って、自分だけのお気に入り(のまち)を見つけてほしい。
・お金がなくても楽しめる、分厚い文化的集積
先ほどの消費の話とも結びつくが、東京は文化がすごい。文化の集積がすごい。まず、博物館や美術館が国公私立、テーマや規模の大小問わずいっぱいあるし。本がたくさん並んでいる図書館や書店、古書店もいっぱいある。地方ではなかなか観られないライブや演劇、講演もたーくさん観られる。こういった文化的な楽しみが盛りだくさんなのも、東京のいいところだ。ほかにも、いろんな楽しみがある。例えば、浴槽から温度からバラエティー豊かな銭湯を巡ったり、よーわからん料理が異常に安いエスニック料理屋を巡ったり、あいまいでカオスな品揃えの古着屋を巡ったり…、いろいろできる。本当に、東京は文化の集積が分厚い。ここまでいろいろできるのは東京くらいだ。東京はこういった文化的集積をペロペロ舐めるだけでも、非常に楽しい。もちろん、まったくお金がかからない訳ではないが。工夫すれば割と安くカスタマイズできるので、割とどうにでもなる(むしろ、工夫のしがいがある)。お金がなくても楽しめるまちというのは、こういった文化的集積のあるまちだ。(地方とは違って)酒や女、ギャンブル以外に楽しめる文化がしっかりあるのが、東京のいいところだ。東京には、安くて楽しめる文化がたくさんある。あまりお金をかけなくても、ペロペロできる文化がたーくさんある。そうした文化のなかで、自分に合ったものを見つけて楽しんでほしい。舐めろ、工夫して安く舐めろ。それが東京の楽しみ方、生き方だ。
・変わり者の居場所がある
皆さんは地元にいて、こんなことを思ったことがないだろうか?――地元には居場所がない、話のできる人がいない、と。どうも地元にいると息が詰まって苦しい、この狭い社会でやっていける気がしない…、と。そういう方は、一度東京へ行ってみるといいかもしれない。というか東京へ行け。というのも、東京にはいろんな人が雑に集まっているので、自分の感性や価値観に近い人もそれなりにいるからだ。簡単に言えば、地元ではなかなか見つからなかった似たようなヤツ、話の合うヤツが割と簡単に見つかる。――あっ、あなたは同じ言葉で話せる人ですね!えっ、この話が通じるの?じゃあ、コレは?おっ、お前のソレめっちゃええやんけ!みたいな。そんな感じでお仲間を見つけられるので、東京は実に心強いところだ。地元でダメだ、もう無理、やっていけない…となっている人ほど、一度思い切って東京に出てきてほしい。何かしら救われる可能性が高い。
東京には(地方とは違い)たくさんのコミュニティがあるので、ある程度探せば、自分にも馴染むコミュニティを見つけることができる。どうも自分はマイノリティ(少数者、変わり者)だ、という方も大丈夫。東京には、そういう人たちの群れがちゃんとあるから。マイノリティにはマイノリティのコミュニティがある。東京のいいところは、マイノリティでもグループを組めるところだ。東京では(田舎では頭数を揃えられない)クラスの隅っこの人どうしでも、グループを形成することができる。例えば、あいまいにシェアハウスに住んだり、ニッチな趣味でサークルをつくったり、気の合う仲間と小さな会社を興したり…、そういうことができる。加えて、LGB-Tや障がい者など社会的に「生きにくい」人たちでも、当事者たちでコミュニティを作って、助け合うことができる。これは大きい。そういう感じで群れよ、集めよ、何かしろ。東京では、そうやって生き延びることができる。
東京では、多少尖った個性も多様性の一部として包み込まれるので、多少おかしな人でもそれなりに存在を許容される。ゴスロリでまちを歩こうが、路上で弾き語りをしようが、駅前で極左・反日的な政治運動をしようが、まぁ東京だしな、という感じがある。東京は変わり者にやさしいまちだ。田舎では、男が平日昼間に近所をブラついているだけで、ヘンなうわさが拡がりかねないが。東京では、そんな人は掃いて捨てるほどいるので、まったく問題にならない。東京には【何をしてるのかよく分からない人】がたくさんいる。お昼の個人経営の喫茶店など、だいたいそんな人ばかりだ。「この人、何をして食べているんだろう?」みたいな人がたくさんいる(たぶん、お互いにそう思っている)。そういう、あいまいな生き方が許容されるのが、東京の懐の深さだ。
・話の輪に入れない、地方の疎外感
地方出身者にとって東京は、さまざまな憧れと同時に、ある種の疎外感をもたらすまちである。例えば、朝テレビをつけると、渋谷のお天気カメラの映像が映っている。ニュースになると、新橋の街頭インタビューのようすが流されている。そして、何かの特集になると、新しくできた原宿のスイーツ店がリポートされている。これらはみーんな、東京の話題ばかりだ。東京、東京、とうきょう…。テレビを見ていると、(東京とは遠く離れた)地方にいるのに、東京の話題ばかり流れてくる。自分の住んでもいない地域の情報ばかり流れてくる。考えてみれば、これはけっこう不思議な感覚だ。テレビの画面を眺めていると、あれ?自分っていったい、どこの人間なんだろう…、と思えてくる。画面に映っているから、東京の話題はそれとなくは知っている。けれども(めったに行かないから)イマイチ現実味がない。画面の向こうの情報は、まるでツルツルした厚紙のようで、掴みどころがないのだ。そのせいなのか、私は何だか空虚な気分になってくる。何というか、自分は蚊帳の外というか。皆が盛り上がっていても、自分はイマイチ話の輪に入れていない感じがする。どうも、世間のメイントピックに乗り切れない疎外感がある。まぁ別に。東京の話題に付いていけたところで、そんなにいいことなんかないかもしれない。どうせ大半はくだらないことかもしれない。とはいえ、くだらねぇ!と言うからには、現地で実物を見てから言いたいものである。見ずして言うのは、何かをごまかしている気がする。自分自身に言い訳をしている気がする。そんな感じがして嫌なのだ、気持ち悪いのだ。
相変わらず、テレビは東京中心とはいえ。今の時代、ネット回線さえあれば、全国どこでも同じ情報が手に入る。そういう意味では、地方と東京の情報格差はなくなった、とさえ言えるだろう。しかし、情報の「出もと」への格差は依然としてあるのだ。つまり、情報の出もとへアクセスできるかどうか、テレビに映った原宿のパンケーキ屋さんに(行こうと思えば)すぐに行けるどうか、という話である。地方ではこれが難しいのだ。よし、パンケーキ行こう、までのハードルが果てしなく高いのだ。今の時代はどこにいても、だいたい同じ情報が手に入る時代だ。東京に住んでいようが、高知に住んでいようが、入ってくる情報自体はそんなに変わらない。ましてや、ネットの情報なんて100%一緒、そう言っても過言ではない。しかし、だからこそ【東京への距離感】が強調されるのではないだろうか。身近に情報が溢れているからこそ、(東京へ)行けない、届かない、という感覚が強まっていく。自分は(本当の意味で)話題には付いていけない、という疎外感がぷくぷくと膨らんでいく…。このように、今の時代は情報格差がなくなった分、情報の「出もと」への格差が意識されるようになった。この格差は、地理的な格差であると同時に、極めて心理的な格差でもあるので、技術革新などで解消することもないであろう。そのため、この格差から生じる疎外感も消えることはない、とみえる。ではどうするのか。――やはり東京へ出るしかないのだ。それしかないのだ。多少くだらないことでも、情報の出もとへ行って見てみる。実際に身体で感じてみる。そのことでしか疎外感は解消されないのだ。まぁ別に。皆の話の輪に入れたところで、そんなに得することなどないのだが。一度はちゃんと入ってみたい、というのはあるだろう。くだらないと言えばくだらないが、それでも十分な動機である。
・老後こそ東京、支えとなるものを求めて
ここまで、割と若い人目線で書いてきたが。老後こそ東京に住みたい、移りたい、という者もけっこう多い。というのも、地方ではクルマを運転できないと困るからだ。人間、齢をとってくると、身体能力的にクルマの運転が難しくなってくる人が多い。そんななか、クルマがないとコンビニにも行けないような場所で生きていけるか、というとけっこう厳しい。買い物にも行けない、外へ気晴らしにも行けない。あれ?わたし…大丈夫なの?生活成り立つの?という感じがある。それに。いざと言うとき病院に行けるかどうか、そもそも近くにまともに治療を受けられる病院があるかどうか、も心配だ。齢をとってくると、いつ何があるか分からない。せめて、代わりに運転してくれる人がいるならいいが。それだっていつまで頼れるかは分からない(パートナーに先立たれるなんて、よくある話)。
だったら、田舎のムダに広い家なんか売り払って、都会の便利なところにマンションでも買って住もう、と考えるのは割と自然な考えだ。そうやって(高齢者が)東京へとやって来る。東京なら徒歩圏内にスーパーはあるし、どこでも電車で移動できるし、近くに病院もあって安心だ、と。その上、ボケない程度に娯楽(例えば、映画館とか図書館とか美術館とか)があるのもよい、と。齢をとってくると、周りに頼れるもの、支えとなるものがほしい、ということだろう。その点、東京が心強いのは確かだ。多少足元がふらついても、手を付くものがある、支えとなるものがある。そういう生活インフラが、年老いた者を東京へと引き寄せているのだ。もしお金に余裕があるなら、有料老人ホームやサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)に住むのもよい。多少身体が悪くなっても、スマートな生活ができる。
・意外と安くない地方の生活コスト
やはり東京移住でネックになるのは、家賃をはじめとする生活コストの高さであろう。実際、狭いワンルームに新卒初任給の半分くらいが持っていかれる、というのはなかなかのものである。とはいえ、明らかに高いのは家賃くらい。ほかのものは(地方も東京も)そんなに変わらなかったりする。実際のところ、地方に比べて東京の生活コストは本当に高いのだろうか?よく考えると、そんなに変わらないのではないか、という気もしてくる。
地方は安くない。決して安くない。というのも、地方は地方でそれなりにかかるコストがあるからだ。まずはクルマ関係。地方ではクルマがないと生きていけないので、その種の費用が必須となる。車両そのものはもちろん、税金・保険料にガソリン代、車検代…、とけっこうかかる。ファミリーならセカンドカーも当たり前。ムダにデカい金喰い虫を2匹も飼うことになる。次に光熱費。地方では、今でもプロパンガスの地域が少なくない。住んでみたら分かるが、プロパンガスは都市ガスよりかなり割高だ。風呂好き、料理好きには地味ぃ~にじわじわ堪えるだろう。加えて、寒冷地(北海道や東北、標高の高い地域など)では暖房代もバカにならない。かといって、これは生命(いのち)にも関わるのでそんなにはケチれない。さらに諸々の物価。野菜や魚など、地場の食材はともかくとして…。地方ではイマイチ競争原理がはたらかないので、それ以外のものは意外と高かったりする。スーパーやドラッグストアの棚を見て回っても、(地方も東京も)あんまり値段は変わらんなぁ…、いや東京の方が安いのでは?といった感じで。地方だから安い、ということはあまりない。加えて、地方には東京にあるような安く買える手段、お店がないのが痛い。例えば、服にしろ靴にしろ、バッグにしろ、東京にはあいまいなルートで入ってきたアウトレット品を扱うお店がけっこうあるが。地方には、そういった掘り出し物を探す場所があんまりない。家電やパソコン(部品を含む)なんかもそうだ。東京にはあいまいな品物を安く売るお店が結構あるが(ただし、目利きが問われる)。地方にはそうそうない。ちなみに。地方が安いはずの野菜や魚だって、東京には安く売るお店が(下町の商店街あたりに)たーくさんある。そのように考えていくと、地方の方が安いものって、実はほとんどないんじゃないか?という気がしてくる。ていうか、本当にない。
ただ、教育費に関してはそこそこ差が出るかもしれない。とはいえ、東京だからといって幼稚園から大学まで、ぜーんぶ私立の学校に入れなければならない、という訳でもないし。高い学習塾に入らないと勉強ができない、という訳でもない。うまく公立でやっていけば、費用面ではそんなには変わらないはずだ(ただし、成績は努力と工夫しだいだ。SAPIXに入れた方が多くの人にとっては効率がいい、そういう話は否定しない)。以上を勘案して、あれ?地方も東京もそんなに変わんないじゃん!と思った皆さん…。どうです?東京行きませんか?チャンスかもしれませんよ?行きたいなら、行けばいいじゃん。そういう話だ。
・おわりに
人々が東京へ向かう理由はさまざまだ。東京は家賃は高いし、電車は混むし、住みにくいところもたくさんある。子育てをする余裕もないことが多い。しかし、それでも東京には人を惹き付けるチカラがあるのだ。(地元を)離れてでも、移り住む理由があるのだ。東京は、夢や目標を追うにはいいまちだ。就職先・進学先は多いし、新たな経験も積みやすい。一方で、(自分のための)居場所を探すにもいいまちだ。東京にはいろんな人や文化、価値観が流通しているので、自分にとって居心地のいい場所、仲間も見つけやすい。変わり者にもやさしい。
近年、東京一極集中はわが国の経済・社会に広く影響を与える問題として、取りざたされているが。進んで、東京一極集中の片棒を担ぐのもどうかとは思うが。それでも個人の人生としては、一生に一度くらい、東京に出ることがあってもいいのではないか、とは思う。やはりいろんな経験ができるし、視野が拡がるし…。さまざまな人生の転機にも出逢いやすい。また、そもそも地元とは違う土地に住むこと自体が、大いに刺激になる。そういう意味では、進学や就職のタイミングで東京に出ることは、悪くはないと思う。むしろ、一定の合理性があるようにさえ思える。
結局のところ。自分の気持ちに素直に、(東京に)行けたければ行けばいい。(地元に)戻りたければ戻ればいい。ただ、それだけではないだろうか?行っても、決してムダになることはないし。行かなくても、相変わらず人生は続いていくし。まぁ好きにしろや、そう言うしかない気がする。考えてみれば、他人が口をはさむことでもないだろうしね。はさんだところで行く人は行くだろうしね。そんなところで、今回はこのへんで…。